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Gamble Dependence Straight to Hell!

ギャンブル依存症。日々色々な事を考えています。

遠い昔と今

今日は早めに寝てしまおうと思っていたが、結局はギャンブル依存症の事に想いを馳せている。

もはや、ギャンブル依存症克服に依存している私がいる。

良いのか悪いのかもよくわからないが、とにかく今日もこうして、ギャンブル依存症と今後の自分の事を考えてからではないと、何だかぐっすりと眠れる気がしない。
少しづつ強くなるギャンブルへの嫌悪感を確かめたいのか、それとも、自分を常に戒めていなければ不安なのか、もしくはそのどちらでもない理由なのだろうか。

眠る前に遠い昔の事を少し思い出す。
私のギャンブル依存症の経歴は20年以上に渡る。
高校生の頃からパチンコと麻雀を始め、18才には競馬を覚えていた。
20才の時にはポーカー屋に入り浸るようになり、いつの間にか私はポーカー屋の従業員になっていた。
今思えば、ポーカー屋に来る客達は全員がギャンブル依存症だった。巷には高利貸しがのさばり、数十万を月1割の利息で貸し付ける。周りの誰かが、飛んだ、死んだはよくある話だった。
それからも紆余曲折を経て、人の縁で運良く今の会社に就職する事は出来たが、一歩間違えていれば、私はもう既にこの世にいない可能性もあったかもしれない。
就職して、何とか当時の借金も完済して、心を入れ替えたつもりでいたにも関わらず今度はこのザマだ。
振り返ってみても、まともな人生ではないなと思う。
いつだってギリギリの所で、誰かに救われてばかりだ。

そんな私が、たかが数ヵ月やそこらで、ギャンブル依存症から抜け出せると思っている事自体がおこがましい。
私がなぜ、毎日ギャンブル依存症の事を考えるのか。
その答えは、今だギャンブル依存症は私の中に巣食っていて、私はそれをどうにかして押さえつけていかなければならないからに違いない。

遡れば、子供の頃から、父親に競馬場やパチンコ屋に連れて行かれていた。今とは違い、子供が平気でパンチコ屋を走り回っている時代だった。
あまり受け入れたくはない現実ではあるが、私の父親ギャンブル依存症だったのは間違いない。

私が見てきた中で、親がギャンブル依存症だった場合、その子供が成長した時のギャンブルに対する価値観は、はっきりと二種類に分かれる傾向がある。
ひとつは、ギャンブルに溺れる親を嫌悪し、時にはギャンブルそのものにも嫌悪感を抱き、はっきりと拒絶するタイプ。
もうひとつのパターンは、私のように自らもギャンブルに身を委ねていくタイプ。
私の場合は、親がギャンブルによって身を持ち崩していく様もはっきりと目にしていた。
それにも拘わらず、私も親と同じように、そして、それ以上にギャンブルにのめり込んでいく事になった。
その分かれ目が、個人の資質にあるのか、それとも教育の過程にあるのかは分からないが、どちらにせよ幼少期から思春期迄の意識への刷り込みは強く関係しているだろう。

まぁ、親が一切ギャンブルをやらなくても、嵌まる人間は嵌まるので、影響の有無に関しては一概には言えないのだが。

私には、自分の不運さえも父親のせいにして、父親を軽蔑し、恨んでいた時期もあった。
しかし、ギャンブル依存症という病気の存在を知り、自分がギャンブル依存症だと認識してからは、自分の親も私と同じように、ギャンブルへの欲求に抗いながらも、脳内麻薬に翻弄され苦しみもがいていたという事実を、ようやく理解する事が出来た。

私の親は、手遅れになるまでギャンブルをやり続けた。
私は、まだどうにかやり直す事が出来る。

今日は仕事を少し早めに切り上げて、docomoショップに機種変に行ってきた。
元々、仕事用のガラケーとプライベートのスマホの2台を所持していたが、今日はスマホの機種変をするつもりが、店員に勧められるままにタブレットを押し付けられて、ガラケースマホタブレット、と3台を持ち歩く羽目になってしまった。
現金は1円もかからなかったので、別に構わないといえば構わないのだが、スマホ1台満足に使いこなせない私が、使い道の無いタブレットを持ってどうしようというのか。
携帯端末が鞄の中に3台もあるのは、さすがに邪魔に感じた。

「何だかな」

と帰り道に思った。


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