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Gamble Dependence Straight to Hell!

ギャンブル依存症。日々色々な事を考えています。

麻雀

昨日は、私の中に潜む虫が蠢くのを確実に感じた。

金曜日の夜という事もあって職場の同僚に麻雀に誘われた。
職場の人間達に、私がギャンブル依存症の克服に取り組んでいる事は伝えてはいない。
今年の2月ぐらいまでは、月に1回か2回ぐらいは同僚達と卓を囲むのが恒例だった。
それが偶々、3月ぐらいからは、年度末の仕事の忙しさも伝って、中々場を立てる事もなくなっていた。

久しぶりの誘いに対して私の心は動いてた。
しかも、翌日は休日だというのに私には何の予定も無い。
給料が入り、支払いと返済も終わり、財布にはほんの少しの余裕もある。
負けたところで金額はたかが知れてるし、多少でも勝てれば幸運だ。断る理由は見つからない。

ギャンブルというカテゴリの中に、麻雀の存在はあまり意識していなかった。
フリーで雀荘に行くような習慣はなかったし、そこで打てるような実力も私には無い。
せいぜい馴染みの仲間達と、わいわいとビールでも飲みながら打つ娯楽程度のものだ。
正直、麻雀は楽しい。
私の中で、まったく嫌悪感の無い賭事でもある。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E9%9B%80
麻雀は、4人の人間同士の勝負なので、上手い下手の個人差はあれど、その公平性に疑いは無い。
どんなに上手い人間でも負ける時は負けるし、下手くそでも勝つ時は勝つ。
多少の場代を雀荘に払う事にはなるが、勝てる確率は4分の1、人間対人間の至極真っ当な賭事に思える。

ところが、「絶対に断るべきだ」私の意思はそう判断していた。

例えば、絶好の手役でのツモ上がりの瞬間、例えば役満をテンパイしている時の期待感、私の頭の中では、間違いなくドーパミンやβ-エンドルフィンが大量に分泌されていることだろう。
手役がまったく入らない時の苛立ちは、ストレスに変わる。
ギャンブル依存症の私にとって、それらの分泌は全てを無に返すきっかけに成りうる。
金を賭ける以上、麻雀も娯楽ではなくギャンブルだ。
行きたい気持ちをどうにか押さえつけ、先約を理由に誘いを断った。

少し前の私であれば「麻雀はギャンブルではない」だとか「これは仕事上の付き合いなので仕方ない」等の理由を、無理やりこじつけて麻雀に参加していても何ら不思議はない。

私にしては上出来だ。

予定も無いのに先約があると言ってしまった為、そそくさと帰宅し、docomoショップの店員に無料で押し付けられたタブレットで、無料の映画を一本見た。

便利な時代だ。


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